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坐禅とホメオパシー

先日、京都へ行ってきました。今回の旅の目的・テーマは「バランスの回復」(笑)

最近、目の調子がいまいちでPCやスマホの画面を見るのも辛かったので、デジタルデトックスも兼ねて、山へ行ったり、坐禅をしたり、写経をしたり…自分を調える旅を楽しんできました。

多くの気づきがあったのですが、まずは坐禅体験での気づきから記していきます。

音声では、より具体的にお話ししています。よかったら聴いてください☆

一言でいうと、ホメオパシーと坐禅、レメディと警策は似ているということです。

ドイツ生まれのホメオパシーと日本の禅が似ているというのは不思議な気がしますが、考えてみれば、どちらも自分の感覚を大切にし、人を全人的に、また自然の一部と捉えているので、似ていると感じても不思議ではないのかもしれません。

今回お世話になった臨済宗のお坊さんの坐禅修行は、やり方も目的もはっきりと教わらないまま、3年間1日5時間を費やしたそうです(驚)

次第に「自分は何をしているのだろう?」「やっている意味はあるのかな?」「これで正しいのだろうか?間違っているのだろうか?」と、生産性を感じられない不安や焦りを感じたそう。

何かが起こるのか起こらないのか、そんな不安や焦りを、「なぜ、自分はそう感じるのか」という感情と、そう感じているときの体の感覚を徹底的に俯瞰して感じ味わうことによって手放したとのこと。

体の不快感でも心の痛みや悩みでも、徹底的に味わい尽くすと手放せるとお話されていて、ホメオパシーに通じるところを感じました。

さらに、

味わっても味わっても手放せないものについては一旦置いておき、また浮かび上がってきた時に改めて味わってみる、その繰り返しだともおっしゃていましたね。

「なぜ、自分はそう感じるのか」「自分はどう感じているのか」というのは、ホメオパシーのセッション・レメディセッションでは一番大切にしているところです。

感覚も感情も味わい尽くすと手放せるというのも、症状を出し切って癒すと表現するホメオパシーと同じかもしれません。

ホメオパシーの場合は、からだや心の不調に対して、その不調と似たバイブレーション・波動をもつレメディを使い、心身をエネルギー的に揺さぶることで、内にある「バランスを取り戻す力(自己治癒力)」を呼び覚まします

自分と似たバイブレーションを持つレメディを選ぶためには、まず、自分の感覚や感情を認識するところから。

その感覚や気持ちに基づいて選ばれたレメディをきっかけに、新たな感覚や感情が浮かび上がり…味わっては手放していく繰り返しによって本来の姿を取り戻していくのがホメオパシーのヒーリングジャーニー(癒しの旅)です。

それを禅の修行では、坐禅をとおして自分で自分の体の感覚、心の感情をひとつひとつ俯瞰して、ていねいに見つめ感じていって、味わい、手放していく…すると「空」を認識できるのかもしれません。

思考が堂々巡りになり収集がつかなくなったときは、警策(きょうさく)という棒で、肩をパンパンと叩いてもらう。

わたしも警策で叩いてもらったのですが、こころとからだが揺さぶられ、感情が底から上がってくる感覚と自分の中で何かリセットした感覚を覚えました。

なので

禅の世界では、警策がホメオパシーでいうところのレメディの役割にもなっているのかも。

本物の修行では棒が折れるほどの強さで叩かれるそうで、恐怖に打ち勝つ必要もあったとのこと。(高ポーテンシーのレメディで刺激するイメージでしょうか?今回は30cくらいの強さでパンパンと叩いていただいたように感じました(笑))

マスターと呼ばれるようなお坊さんくらいの坐禅・瞑想技術があれば、ホメオパシーのレメディは必要ないかもしれません。

ただ、そのレベルになるには、何十年かかるのでしょう…?

お坊さん曰く、

坐禅は技術なので誰でもできるようになるけれども、1回の坐禅でその技術が身に付くわけではなく、魔法のように1回坐禅をしたからといって人生が変わることもないとのこと。

そこも、ある意味ホメオパシーと似ているところ(例外もありますが 笑)

ホメオパシーの場合は、ホメオパスとのセッションやレメディというツールを使うことで、たとえ技術がなくても自分の力(自己治癒力)を引き出して癒すことはできます。

それでも、

自分の感覚や感情を長い間抑え込んできていたり、感覚や感情とあまり向き合ってこなかった場合は、はじめに慣れるまでは坐禅と同じように少し難しく感じたり時間がかかることもあります

何事も少しずつ、一歩一歩。

レメディセッションを受けている方は、坐禅でも瞑想でもジャーナリングでも、お好きな方法で構わないので、自分の感覚や感情と静かに向き合う時間を、1日5分でも持ってみると、レメディとの相乗効果が高まるので、おすすめです☆

雑音は、雑音と感じる自分がいるだけ

この言葉は、いつでも心に留めておきたい。